プロフィール
長岡 秀貴
長岡 秀貴
NPO法人 侍学園 スクオーラ・今人 理事長。
侍学園(通称サムガク)とは、長野県上田市にある若者の自立を支援している日本一小さな学校。
若年者の自立と就労を支援する民間の教育施設として、生活改善やコミュニケーション能力の醸成等を通して、社会での生き辛さに悩む若者が自分らしく充実した人生を送れるように後押ししている。
http://www.samugaku.com/
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Don’t think. feel #9

2024年04月24日

 長岡 秀貴 at 03:46  | Comments(0)
2004年4月24日
ナガオカ。30歳最後の日でした。
あの日も早朝3時ぐらいに目覚めたのを
鮮明に覚えています。

そこから遡ること10年。
大学2年の春。
うちの大学の「鬼門」と謳われた保健体育の鬼教授の講義の中で
「若年妊産婦」について話されていた時のことです。
教授は一人の学生を指し
「今付き合っている彼女が妊娠したと告げて来たらお前はどうする?」
と問いました。
真面目そうな学生は
「認知して結婚します」と答えました。
鬼教授は
じゃあ。お前が目指してきた教師は諦めて働くのか?」と詰め
真面目そうな学生は
「大学を辞めて働きます。」と答えました。

ワタクシの推測ですが
そこにいた学生の殆どは
彼の発言に賛同し
自分でもそう言うだろうなと思ったと思います。

鬼教授はほくそ笑みながら

「じゃあよ。性行為はお前の夢よりもずっと重要なんだな。
 小さな頃から何年も思い描いていた将来よりも
 1時の欲動に任せた性行為の方がずっと重要なんだな?
 だったら今すぐ大学は辞めた方がいい。
 そんな軽い価値観の人間に人は子どもを預けたくないだろうから。
 お前が親だったらそんな教師に子どもを預けたくないだろ?」


真面目な学生は何の反論もしませんでした。

まあ極端な禅問答だったかもしれませんが
教師たる人間が子どもたちに性教育を諭す時。
心の中心に持っていなければならない矜持なんだと
その時は納得したのを覚えています。

人が愛し合い
子どもを授かることは
人間社会が生み出した倫理を超えた
生物本能としては最上級の自然ではあります。

0.000007%と言われる
競争とタイミングを勝ち得て
生まれてきた我々にとって
それに勝る生命体としての目的はないのかもしれません。

それでも
その本能的欲求を超える
「生きていく為の目的」
人が「人間」として進化した証でもある。

それは人それぞれが持つ「幸福感」

人が幸せに生きると言う目的は
森羅万象。

それを中心に据えた
「学び舎」って出来ないもんかね?

あの時のワタクシはそんなこと想起し

同じ職業を目指し
同じ方向を向いて講義を受ける
集団の一人であることに恐怖したわけです。

鬼教授は続けます。

「海外の子どもたちは
 将来の夢を尋ねられた時。
 火星に住みたい。新しい国家を作りたい。便利な川を引きたい。
 大人が考えないような未来を口にする。
 一方日本の子どもたちはお前たちも含めて
 先人に用意された「職業」でしか将来を語れない。」


教師を目指す人は何万人もいる。
でもそれは用意された職業への羨望。

「自分で学校作るなんて奴はいないよな?」

そんな言葉が頭に浮かぶと同時に
ワタクシはノートに「学校設立計画」を書き殴ってました。

その夜。
高校の担任だった小林先生に電話をし

「せんせ。俺決めたわ。自分で学校作る」と宣言しました。

小林先生は
「あっそ。好きにしろよ。学生なんてそうでなくちゃ学生の意味がねえ。
 でも作るなら期限決めとけよ。年々大人になって色々諦めるからな。」

と呆れながらワタクシに諭しました。

「10年。10年後には開校するよ。」

瞬時に出た言葉がそれでした。

そして10年後。
ワタクシは本当に小さな学校を産み出しました。
人間のお産に比べたら
1/100にも満たない苦しみだと思いますが
それでも
あの日。
あの時に感じた「使命」みたいのもんを実現したわけです。
開校1週間前に
入学を決めてくれた
たった一人の生徒しかいない小さな学校でしたが
20年前の今日。

確かにこの学園は産声を上げました。

20年もやってきたのか
今となっては実感はないぐらい
光陰矢の如しで
あの日30歳の青二歳だったワタクシも
51歳になります。

それでも30年前に書いた
学校設立書の設立趣旨は
一ミリも揺らいだことがありません。

全ての生徒に有用な共育は施せるはずもなく
卒業せずにこの学園を離れていった生徒も数多くいます。
この学園で働いてくれた職員もそれに同じ。

ナガオカが変わっただの
サムガクが変わっただの
好き勝手陰口叩く人も少なくないでしょう。

まあそれも人間ですから
いちいち目くじらも立てなければ
腹も立ちません。

なぜなら
あの日からワタクシは何も変えられなかった。
あの日の「決意と覚悟」に勝るパッションなど
あれから訪れなかったから。

ワタクシとしての「定点」はあの日。
サムガクとしての「定点」も然り。

ナガオカもサムガクも
人の「定点」でありたい。

いいも悪いもひっくるめて
人々が今の自分の感情や価値観やステージを
確認するための「灯台」であれるよう

「金持ち」になることを捨てて
「人持ち」を選んでここまで生きてきました。

ワタクシやサムガクが「悪」なのであれば
20年も続きやしなかったでしょう。
「悪」は淘汰されるのが自然の摂理ですから。

だから
一抹の安心を得ています。

あの日のワタクシは間違っていなかったと。
20年のサムガクの鼓動は間違っていなかったと
今は思えたりします。

ワタクシやサムガクが全て正しいなどとは言いません。
サムガクが共育施設として成熟したとも
思っていません。
まだまだです。

ただ
私財と寿命を誰かに捧げて生きることが出来る
という証明は出来たんじゃないかと思っています。

ワタクシに「目標の実現には期限設定が必要不可欠である」
を教えてくれた小林先生は
翌年早々31歳の若さでこの世を去りました。
あれからもう30年です。

ワタクシにもう一度「生き続ける理由」をくれたあの人との
約束を果たすために
自分がこの世に生まれ生き続けていく理由として
この生き方を選び続けてきました。

そして
2024年4月24日早朝。

20歳のナガオカに
あの人の決意と覚悟を
何も変えなかったことを

人間としては
何も成長出来てないことを

ニヤニヤしながら
報告した次第です。

20年間。
お支えくださった
応援してくださった
全ての皆様に心の奥底から
深く深く御礼申し上げます。

またスタートラインを引きます。

これからも
この小さな学び舎と共に
一緒に生きてくださいますよう
お願い申し上げます。


侍学園スクオーラ・今人
理事長 ナガオカヒデタカ